脱サラ理系僧侶への道

元LSI設計者→僧侶(になるため勉強中) という経歴の管理人による雑記帳

知識は必ずしも役に立たなければいけないの?

これまで36年とちょっと生きてきて、「〇〇って何の役に立つの?」と聞かれた経験がそこそこあります。ですが、こういう質問をされることはあまり好きではありません。

 

10年以上前に遡りますが、大学時代に塾講師のアルバイトをしている時、教え子(中3女子)に「数学なんか勉強して将来何の役に立つの?」とほぼ全員に聞かれました。まあ、数学嫌いの子がよく言う質問です。

今となってはその時にどう答えたかは全然覚えていませんが、「義務教育だから」とか「行きたい高校に受かるためには、やらなきゃいけないでしょ」くらいの事は言ったかもしれません。

もう少し気の利いた生活感溢れる具体例でも示せばよかったのでしょうか?

 

でもよくよく考えてみれば、物事がどう役に立つかの価値観なんて人それぞれです。自分にはとてつもなく役に立ったとしても、それが同じように他人に役に立つかどうかはわかりません。

 

加えて、全く役に立たない知識(無駄なこと)は存在しないということです。自分で意図しなくても役に立つこともあります。人生の中で何が役に立つかは本当にわかりません。これから(死ぬまでに)絶対に役に立たないと断言できるものなんて無いはずです。

 

兎角現代社会ではひたすらに役に立つ知識以外は排除される傾向にある気がしますが、それを盾にして見識を狭めることは人生を損することに繋がると思いませんか?

 

私はこれからも、役に立つかどうかは二の次にして貪欲かつ継続的に知識を吸収していきたいと思います。